2014年9月28日日曜日

法大ベトナム研修報告(終)~ARBAらしさをめざして


前回までの記事で、「国際交流・国際支援」、また日本語教育を通した「異文化コミュニケーション・異文化理解」に関する活動について、紹介と報告をさせていただきました。

ですがこの研修で最も大切にしてきたことは、実は研修全体を通した日々の生活のことでした。ここに、私たちARBAだからこそ提供できるベトナム滞在を体現していました。

宿泊所の一つ、サイゴン駅に近いアパートメント

研修の12日間は「旅行ではなく暮らしてみる」「ひとりであることを楽しむ」をキーワードとし、意識して過ごしてほしいことを、今年4月の段階から参加学生の皆さんに伝えてきました。そのための方法として、宿泊所はあえてホーチミン市の中心部を避け、外国人観光客が滅多に行かないローカルなエリアのサービスアパートメントを2カ所選び、分宿しました。またその宿泊所から訪問先への移動には、積極的に路線バスを使ってもらうようにしました。そうすることで、素のベトナム・ホーチミンを味わい、観光旅行では得られない生活体験をしてほしかったのです。

皆で積極的に活用した路線バス

ありのままのベトナム・ホーチミンを体験するためには、誰かの視点を借りるのではなく、周りを目を気にするのでもなく、自分自身の感性を十分に使い、街に飛びこんでいく必要があります。そのため、研修中は一人ひとりが個室に滞在し、 食事もいつも全員でとるわけではなく、ひとりで行動できる自由な時間を多く設けていました。初めての異国の地をたったひとりで歩き行動するのはとても勇気のいることですが、だからこそ得られる、知ることのできる事柄がたくさんあります。ひとりでいる時間を少しでも充実して過ごせるよう、今年4月から7月まで行った日本での事前授業では、ベトナム語学習にも多くの時間を使いました。ベトナム語を上手に話すことが目的ではなく、ホーチミンの街に飛びこむための勇気のアイテムとして、参加学生の皆さんに持っていてほしかったのです。12日間は毎晩ミーティングを行っていましたので、各自がひとりの時間で得たことを他のメンバーへ伝え、それを元に意見交換することもできました。
 
大衆食堂で食事を取ることもありました

最終日、参加学生の皆さんに「12日間で出会った人の中で、もう一度会いたい人を一人だけ選ぶとしたら誰?」という質問を投げかけてみました。てっきりそれぞれの訪問先で印象的だった人の名前が出てくるかと思っていたのですが、彼らからは「バインミー屋のおばちゃん」「毎日行ったコンビニの店員」「アパートのフロントのお兄さん」「商店でお母さんを手伝っていた女の子」など、訪問先以外の生活の場面で出会った人のことが多く出てきました。それぞれが私たちARBAスタッフの知らないところで、それぞれの暮らしを楽しんでいた証拠じゃないかと思えました。最後に皆で、そういった大切な人たちに向けてベトナム語でメッセージを作成して、それを伝えてから空港に向かうことにしようと決めました。後で聞いたら、全員がきちんとお別れを言えたようでした。

きっと観光の視点ではできなかったベトナム滞在が、この研修では実現できたのじゃないかと思います。もちろん研修の内容としては、まだまだ検討すべきこと、見直さなければいけないこと、より工夫できることも多々ありますが、ARBAらしさをめざしたからこそ実現できたこともあったと感じられます。

まだまだここに書ききれない出来事が12日間ではたくさん起こりましたが、最後に無事終了のご報告と感謝の気もちをお伝えできればと思います。

この研修に携わってくださった皆様、応援してくださった皆様へ。本当に、ありがとうございました。

Xin cảm ơn!!

(きむら)

2014年9月27日土曜日

法大ベトナム研修報告⑤~「人文社会科学大学」


さて、「日本語教育」という観点からもう一つ訪問した場所がありました。「ホーチミン人文社会科学大学」の日本学部です。ここはARBAの事業地というわけではありませんが、法政大学の正式な協定校ということで、今回の研修中に訪問するにあたりARBAがサポートをさせていただきました。ちなみにここは、私自身が留学しベトナム語を学んでいた大学でもあります。

一日目の講義の様子

日本学部には二日間かけて訪問し、特別授業を行いました。授業のテーマはずばり「キャリアデザイン」。日本でも聞き慣れないこの単語は、ベトナムでは全くの新しい概念。しかし自分のキャリア=人生をどのようにつくっていけばよいかという問題は、双方の大学生にとって共通の関心事です。

講義担当の御園生さんと、通訳のトアさん

一日目の講義では、「まなぶこと・働くこと」が主題でした。私たちはなぜ学ぶのか、学びに終わりはあるのか、そして私たちは何のために働くのか…。「生きることは、自分自身を好きになり、肯定すること」という哲学的な要素を多分に含んだ講義、日本学部生の皆さんは新鮮なテーマに真剣に耳を傾けていました。

二日目のワークショップの様子

二日目は、グループに分かれてのワークショップ。法政大学からキャリアアドバイザーの葛西さんが参加してくれました。あるエクササイズを使い、各自が自分は一体どんな性格で、何を好んでいて、それは将来どんな風に活かしていけばよいのか…について考えました。グループ内ではキャリアデザイン学部生をリーダーとして、終始日本語を使って話し合いを行いました。エクササイズ自体にははっきりとした結論が用意されているわけではありませんが、自分自身に向かい合い、自分自身を他者に伝えるというプロセスの大切さは共有できたように思います。

グループ内で自分自身について語りました

「村山日本語学校」と「人文社会科学大学」の二つを通して、ほんの少しですが、日本語教育の現場を垣間見ることができました。現在ベトナムの(もちろんベトナムだけではないと思いますが)日本語教育を取り巻く環境は厳しく、日本人のネイティブ教師の不足という困難を抱えています。かつて村山日本語学校のルオン校長がこんなことを言っていました。「日本語を知ることは日本を知ることであり、日本を知ることは日本人を知ることです」。現状として日常的に日本人を知る機会が少ないベトナムの学生たちにとって、今回のキャリアデザイン学部の研修グループの訪問がよい機会となったことを願うばかりです。

またキャリアデザイン学部の皆さんにとっても、ベトナムの人と日本語を使って直接話をすることができるのは、大変貴重な機会でした。特に日本学部では大学生同士の交流だったことで、キャリアデザイン学部の皆さんはベトナムに来て初めて、自分と同世代で同じ立場にあるベトナムの人と出会えたことになります。国や文化は違えど、同じ年頃として抱える悩みは似ていて、授業を通してそれを共有することもできました。異文化を知ることは、異国を知ることは、同時に自分自身を、自分の国である日本を知ることでもあります。この研修を通し、キャリアデザイン学部の皆さんがベトナムのことだけでなく、日本とそして自分自身を理解するきっかけになったとしたら、それはとても嬉しいです。

(きむら)

2014年9月26日金曜日

法大ベトナム研修報告④~「村山日本語学校」


今日は、三つの柱の一つ「異文化コミュニケーション・異文化理解」について。こう言うと非常に幅広いことを指してしまいますが、この研修では主に、「日本語教育」という観点からこの柱を捉えていて、「村山日本語学校」と「ホーチミン人文社会科学大学日本学部」の二つを訪問し、ベトナムにおける日本語教育の現状を体験しました。


≪村山日本語学校≫

正式には「村山記念JVPF日本語学校」 というこの学校は、ホーチミン市の統一会堂すぐそばに位置するレクイドン高校内に、2007年より設置された日本語講座です。村山富市元首相を会長とする JVPFという団体が設立した日本語講座で、設立当初はレクイドン高校の学生のみを対象にしていましたが、その後対象をホーチミン市内の他の高校の生徒にも広げ、さらに現在までに大学生や一般の方にも開かれることになりました。現在総学生数は122名で、うち28名が高校生、42名が大学生、残りはすべて一般の方ということです。
JVPFのホームページ: http://ifcc1985.com/jvpf/act/education.html

レクイドン高校内のワンフロアを借りています

ARBAは2007年の設立当初より、教員を対象とした研修の実施や学生たちとの交流など、いわゆるソフト面での協力という形でこの学校に関わってきました。私自身も2009年の一年間は、アルバイトの日本語教師として授業を担当させてもらった時期もありました。またエクスポージャーツアーでは毎回学校を訪問して、ツアー参加者と日本語を学ぶベトナム人学生たちとで、日本語を使った交流授業を行ってきました。

「私の一日」を紹介しました

今回の法大キャリアデザイン学部の研修では、各クラスの授業を見学させてもらった後で30分ほど時間をもらい、キャリアデザイン学部生たちによる日本紹介を行いました。桜や富士山といったステレオタイプの日本ではなく、自分自身の日常生活を通して知ってもらう日本を、ということで、「私の一日」をテーマに写真を使ったプレゼンテーションを行いました。通学途中の電車や駅の様子、大学での授業の様子、サークル活動の様子、アルバイトの様子、家での暮らしの様子・・・など、皆さんそれぞれに工夫し説明していました。

プレゼンをする前に唯一約束していたことは、「日本語だけを使って説明し、英語やベトナム語に逃げない」こと。皆さんそれをよく意識してくれ、例えばキャリアデザイン学部生のSさんは、前半の授業見学でクラスのレベルを察知し、村山日本語学校の学生たちがすでに学んでいるであろう語彙だけを上手に使って説明していました。別のクラスではIさんが急きょベトナム人の先生に「色を教えてほしい」と振られたとき、Pinkを「ピンク」ではなく「桃色」と伝え、桃についての説明を加えていました。

慎重に言葉を選んで話します

村山日本語学校のポリシーは「日本語を日本語で教える」という直接教授法。とはいえ現在日本人の教員がいないため、ベトナム人の先生方はベトナム語に頼らざるを得ない部分もあります。そんななかキャリアデザイン学部の皆さんが発した日本語は貴重な生の日本語であり、ひょっとしたら村山日本語学校の学生にとって初めて聞くネイティブ日本語だったかもしれません。もちろんすべてを聞き取ることはできなかったかもしれませんが、生の日本語を聞き、理解できてうれしかったり、聞き取れなくて悔しかったり…。そういった気持ちを、今回村山日本語学校の学生たちが感じてくれ、今後の日本語学習への意欲へとつながったらとても嬉しいなと私自身思いました。

日本語のプレゼン、どれくらい聞き取れたでしょうか
<続きます>

(きむら)

2014年9月23日火曜日

法大ベトナム研修報告③~「タイホア教会」


タインタム幼稚園を後にし、向かったのはタイホア教会(Giáo xứ Thái Hoà)。現在ここの神父を務めるチー(Trí)神父と面会しました。

タイホア教会の正門

現在、ベトナムにおいてカトリックを信仰する人の数は全人口の約7%と言われていますが、ここドンナイ省はベトナム全土で最も信者が多い地域。1954 年、ジュネーブ協定の締結によってベトナムが北と南の二カ国に分断された際、北の急激な社会主義化を恐れたカトリック信者たちが大勢南に移住してきまし た。その際、そうした信者たちを積極的に受け入れたのがこのドンナイ省で、信者たちはコミュニティを作り(あるいはコミュニティごと北から南に移住し て)、自分たちの教会を建設してきました。実際にドンナイ省には教会が密集していて、国道1号線沿いには数km間隔(なかには数百m間隔?)で教会が建ち並んでい ます。タイホア教会もその時代に建てられた教会の一つで、現在まで地域住民の信仰の拠り所として存在しています。

毎日ミサの行われる礼拝堂

各教会にはそれぞれ「教区」と呼ばれる管轄区域があります。タイホア教会の教区には約1万の住民が住んでいるそうですが、うち約4000人がカトリック信者で、 タイホア教会に通ってきています。タイホア教会では毎日ミサがありますが、平日は朝と夜に2回、土日は朝2回夜2回の計4回。そのミサを取り仕切り、 4000人の信者たちにイエスキリストの教えを説き伝えているのがチー神父です。

教会の紹介をしてくれるチー神父(左)

チー神父がこの教会に赴任して約3年。以前は川崎陽子さんとお知り合いだったフーン神父がいて、私たちARBAの訪問やホームステイを受け入れてくれていました。3年前にフーン神父が4kmほど先のバックホア教会に異動になった際、フーン神父は後任のチー神父にARBAのことを紹介してくれ、引き続き私たちが訪問できるように繋いでくれました。それ以来チー神父はこうしていつも私たちと一緒にテーブルを囲み、教会やこの地域の紹介をしてくれます。チー神父は口癖のように私たちに話します。「ホーチミンだけがベトナムではありません。こうした他の地域のことも知って帰ってくださいね」。

現在はバックホア教会に赴任しているフーン神父

前回の幼稚園の記事にも書いたように、このドンナイ省は近年急激に工業化が進み、工場がたくさん建設されているエリア。タイホア教会の教区のなかには別の地域から職を求めてやって来た住民も多いですが、彼らはカトリック信者とは限りません。チー神父の話によると、最近では単身でやって来る若者の間で深刻な問題として、人工妊娠中絶の問題があるそうです。ベトナムでは性教育が学校では行われていないため、若者たちは正しい知識を持たないまま望まぬ妊娠をし、経済的な困難により中絶するというケースが多いようです。チー神父は、信者に限らず教区内に住むそうした若者に対して性教育を行うとともに、堕胎された命を病院から引き取り、タイホア教会内の墓地に埋葬する活動もしています。

教会内の墓地。「200の命が安らかに眠る場所」というプレートも。

この日、私たちはチー神父のお話を聞き、教会内を散策した後で、夕飯をいただいて夜のミサに参加させてもらうことにしました。ミサの1時間前から、地域には礼拝堂の鐘が鳴り響きます。夕方頃から徐々に教会内の広場には人が集まり始めていましたが、特にに学校から下校した子ども達が、教会内の遊具を使って遊ぶ姿が目立っていました。教会は地域住民たちにとって信仰の拠り所であると同時に、集いの場・憩いの場でもあるようです。彼らの生活は、いつも教会とともにあるのだと感じます。

いつも美味しいご飯を作ってくれるおばちゃん。夕飯後は彼女もミサへ

私は何度もここのミサを体験させてもらっていますが、今回もまた、何とも言えない非常に厳かな、不思議な空間であると感じました。イエスの教えも、聖書の内容も、私自身まだまだよくわからないことだらけですが、神父の言葉ひとつひとつに熱心に耳を傾け、こうしたミサの時間と空間を共有する信者さんたちの姿を見ていると、タイホア教会やチー神父が彼らにとってどれだけ大切な存在であるかを確認することができます。

教会の敷地内を案内してくれるチー神父
 
そしてそんな教会が、ARBAや法政大学といった外国人グループの私たちを受け入れてくれるということ。ミサの後、参列していた子ども達は勢いよく私たちのほうへとやってきて、ノートにサインをしてほしいと懇願していました。年に数回、こうして時々やってくる私たちARBAは、ここの人たちにとって一体どんな存在になっているのだろうと、考えずにはいられませんでした。通い続けることを大切にしてきたこれまでから、教会の人々のことをもっともっとよく知り、関係を発展させたいという気持ちが、私の中で芽生え始めています。

(きむら)

2014年9月22日月曜日

法大ベトナム研修報告②~「タインタム幼稚園」


法政大学キャリアデザイン学部「キャリア体験学習・ベトナム」の三つの柱の一つ≪国際交流・国際支援≫として、ARBAが設立以前からずっと関わり続けているドンナイ省の「タイホア教会」と「タインタム幼稚園」にも行ってきました。

ビエンホア駅にて。サイゴンからは31000ドン(約155円)

いつもはベンタイン市場バスターミナルを始発とする路線バス(12番)に乗っていくところですが、今年は一味違います。サイゴン駅から南北統一鉄道に乗り、列車での旅です。この南北統一鉄道は南はサイゴン(ホーチミン)、北はハノイまで約1800kmをつなぐベトナム唯一の列車。私は一度ハノイまで行ったことがありますが、特急でも33時間かかりました…。

列車内の様子

今回はドンナイ省までなので、サイゴン駅お隣のビエンホア駅で下車。わずか45分間の鉄道の旅でしたが、車内には長距離移動をするベトナム人家族が多く、私たちは車窓からの景色を楽しむだけではなく、車内に広がるそうした人々のありのままの様子も知ることができました。

ビエンホア駅からは専用車で移動

【タインタム幼稚園】

ビエンホア駅から専用車に乗り換え、はじめに「タインタム幼稚園/Trường Mẫu giáo Thanh Tâm」へ向かいました。ここは「聖マリア宣教修道会」のシスターたちが運営する幼稚園で、かつてARBAのメンバーだった川崎陽子さんがホール建設のための支援を行い、現在もARBAがエクスポージャーツアーなどの機会に訪問~交流を続けている場所。9月から新年度のベトナム。この日の幼稚園もスタートしたばかりの慌ただしい中でしたが、シスター、先生、園児たちが私たちの訪問を温かく迎え入れてくれました。3歳児で今期が初めての登園となる子たちのなかには、送りに来た家族と離れがたく泣いている子も。こういう場面は、日本と同じだなぁといつも微笑ましく思います。

訪問時はちょうど朝の体操風景が見られました

ここ本校には3歳児(芽組)、4歳児(つぼみ組)、5歳児(葉っぱ組)のクラスがそれぞれ3クラスずつあり、現在全9クラスで約400名の園児がいます。この日は行けませんでしたが5kmほど離れたところの分校には、2クラス編成で約60名の園児も。教職員(全員女性)は全部で22名、教員は1クラスにつき2名ずつ配置されていますが、園児数があまりに多く、規定の配置人数には届いていないのが現状だそうです。

各クラスも見学させてもらいました

ドンナイ省はここ約10年間に工業団地が数多く建設され、工場労働者としての職を求め、ベトナム全土から多くの人が移り住んできているエリアです。タインタム幼稚園に通う園児の親たちも大部分が他の地域からやって来た工場労働者で、元々ドンナイ出身という人は少ないそうです。日中わが子を預かってくれる幼稚園の需要が高まるばかりのこの地域で、幼稚園の数はまだ多くなく、シスターたちが運営しているタインタム幼稚園へ強い信頼を寄せ、預けたがる親たちが後を絶たちません。私自身年に何度もこの園を訪問していますが、その度に園児の数が増えています。最近では、シスターたちは入園を断らざるを得ない状況なのだそうです。

午前中のミルクの時間

園内の見学~園児たちとの交流のあとには、ここで園長を4年務めているシスターのタオ(Thảo)さんにお話を伺いました。

ベトナムにおいて、教会や修道会などカトリックの団体が運営を許可されている施設は、幼稚園と障がい者施設のみ。しかしその 施設においても、キリストの教えを伝えることは許されず、国や省の定めるカリキュラムに即して運営しなければなりません。クリスマス会が唯一、学校行事としてできるカトリックのイベントなのだそうです。

クリスマス会の様子

現在園が抱える問題は、やはり園児の急激な増加。かつて川崎さんの支援したホールも現在は三分割され、教室として使用しなければならないほど。しかし校舎よりも深刻なのは教員の少なさと教育の質。常に大人の手が足りず、ホーチミンのような都市部と比較すると、教育の質が落ちてしまっているとのことでした。また親たちは工場での仕事が忙しく、なかなか園での活動や子どもの教育へ関心が寄せられておらず、単に「園に預けておけばよい」という意識の親が多いのも、タオさんの悩みのようでした。同じ修道会が運営するホーチミン市内の園には「保護者会」が結成され、親主導のチャリティーバザーなどもある一方、ここドンナイの園ではなかなかそうした活動ができないのが現状です。

カメラと大学生に夢中の園児たち

運動会やお楽しみ会など、親が参加する活動がたくさんある日本の幼稚園や保育園。この日は私たちから、「日本の園ではこんなイベントをして親たちに園に来てもらいます」という話をしました。「私たちの園も次のステップへ行かなければならいのかも」と考え込んでいるタオさんの姿が印象的でした。私自身、タオさんや先生方がどんな悩みを抱え何を課題としているのか、対話を続けることで知ってきたいと強く思った訪問でした。そしてそこでARBAとして何か協力できることがないだろうかと…。

<続きます>

(きむら)






2014年9月21日日曜日

法大ベトナム研修報告①~「フーンライ」「風呂敷プロジェクト」


Xin chao!

法政大学キャリアデザイン学部のベトナム研修、「キャリア体験学習・ベトナム」が、9月4日~16日までホーチミンを中心に行われました。ARBAがこの研修のコーディネートを受託するようになり、今年で5年目。キャリアデザイン学部の大学生の皆さんにARBAらしいベトナム紹介ができるようにと、毎年試行錯誤をしながら取り組んでいますが、開始当初から変わらない三つの柱があります。それは、

「国際交流・国際支援」
「異文化コミュニケーション・異文化理解」
「日系企業訪問」

です。この三つに即して、今回の研修を振り返ってみたいと思います。

*****

≪国際交流・国際支援≫
 
現地で孤児やストリートチルドレンへの支援活動を行っている非営利団体や個人を訪問し、国際支援活動の現場を見聞します。また、ARBAの事業地であるドンナイ省のタイホア教会、タインタム幼稚園の訪問~見学を行いました。ここではまず、レストラン「フーンライ」と、風呂敷プロジェクトについて紹介します。ここ数年のARBAエクスポージャーツアーでも訪問させていただき、お世話になっている二つの場所です。


【レストラン・フーンライ】

ホーチミン市1区の中心部にお店を構えるフーンライ(Huong Lai:ベトナム語で「ジャスミンの香り」の意)は、ベトナム家庭料理レストラン。ベトナムに渡り、家庭料理の美味しさに魅了されたオーナー白井尋さんが、そんな料理を外国人観光客にも紹介したいと2001年から始めました。

素朴だけどとっても美味しいフーンライの料理

フーンライにはもう一つ、「トレーニングレストラン」という重要な顔があります。孤児やストリートチルドレン、貧困家庭など、社会的に困難な環境に置かれたベトナムの若者たち15~24歳)をスタッフに登用し、白井さんがサービスや英語を教えることで接客スキルを彼らに身につけさせ、将来的に彼らがホテルやレストランなど、自分の可能性を別の場所で発揮できるように訓練しています。
フーンライのHP:http://huonglai2001saigon.com/

オーナーの白井尋さん(左列の中央)

この研修では白井さんと、奥様のかおりさんを囲んで、フーンライに込めた想い、若者たちへの願いなどをたっぷり伺いました。白井さんのお話をこれまで何度も伺って私がいつも思うのは、白井さんがここで若者たちに教えてるのは、スキルというよりも「自分を好きになること」ではないか、ということです。スタッフは、お客さんに温かく丁寧な接客をして喜ばれ、お客さんからのいい反応をもらう。それが、自分は誰かに喜んでもらうことができるんだという自信になり、自分自身を好きになる。自分の可能性に気づき、もっと色んなことにチャレンジしたくなる…。フーンライを卒業して行く若者たちは、小さな成功体験をここでたくさん積み、自尊心を持って別の場所に移って行くのだそうです。

自分を好きになることの大切さは、キャリアデザイン学部の皆さんにも大きく響いたようでした。


【風呂敷プロジェクト】

2007年よりホーチミンで始まった自立支援プロジェクト、「風呂敷プロジェクト」。創設者の竹中麻衣子さんは、10年以上にわたってベトナムへ行き、ストリートチルドレンやHIV感染患者への支援活動を続けてきた方です。そんな竹中さんが現在進行しているのが、この風呂敷プロジェクトです。

プロジェクトの作品たち

プロジェクトのキーワードは、「フェアトレード」と「エコ」。日本から、ベトナムから、要らなくなった布のハギレを集め、作業スタッフはそれらをパッチワークのように縫い合わせて一枚の風呂敷を製作して販売します。売れた分のお金は、半分をプロジェクト維持費としてキープし、半分を作業スタッフに渡すそうです。作業スタッフの方たちは、病気や貧困などそれぞれの理由により、なかなか固定した仕事に就くことができません。そんな彼らに、プロジェクトでは在宅で風呂敷製作をしてもらい、月に一度のミーティングで顔を合わせ、互いに検品作業~タグ付け~納品をして、次の月の製作に向けて打ち合わせをしています。風呂敷という、ベトナムにはないものを生産しているのは、竹中さんの願いの一つである「エコ」と、日本文化のよいところを紹介したいという想いもあるのだそうです。
竹中さんの活動報告ブログ: http://lifeinhcm.blogspot.com/

プロジェクトマネージャーの栗須さん(右)

現在は、竹中さんの想いに賛同しプロジェクトに協力するようになった、ホーチミン在住の栗須沙里さんが、実際にプロジェクトの運営にあたっています。本業でも服飾デザイナーをしている栗須さん。自分にできることを模索しながら、毎月作業スタッフの皆さんと共によりよい製品を作ろうと奮闘されている様子を語ってくれました。

スタッフ・ラムさん(中央)が作成した風呂敷

この日のお話でわかったのは、現在プロジェクトでは、 スタッフたちの生産技術がどんどん上がっているのに対し、製品がなかなか売れないという困難に直面していることでした。しかし、「どうしたら売れるか」だけを考えてしまうと、「売れる製品を作らなければ」という発想になり、元々竹中さんが始めたときの想い~困難な環境に置かれたベトナムの人々に、自分の可能性・価値を見つけてほしい~という想いから離れていってしまうような気もします。この訪問を通し、支援の現場に直面することで、キャリアデザイン学部の皆さんとも「支援とは?」と考える機会ができました。

私は、白井さんと栗須さんに共通するのは、お二人とも、お店やプロジェクトを大きくしたり、ずっと続けることを目標としているのではなく、「いま、ここで自分にできることは何か」を常に考え、大切にしているということではないかと感じました。もしかしたらずっと続けることはできないかもしれないけれど、大好きになったベトナムという国の人々と一緒に何かを生み出したい、それが少しでも困難な環境に置かれた人にとってプラスになればよいと、そう願っているお二人の姿は、純粋に素敵だと思った訪問でした。

<続きます>

(きむら)