難民として日本に来て以来、同じ難民として日本に暮らすベトナム・ラオスの人たちのお寺はすでにあったのだか、カンボジアのお寺だけがなかった。これには祖国カンボジアの政情不安など様々な理由があったわけだが、来日30年余が立った今日、ついにクメール寺院ができた。
開闢のお祝いとプチュンバンを兼ねた祭事に招待されて行ってきた。
在日カンボジア人の多くは慶弔やお祭りの際にお寺がないことでとても苦労していた。お坊さんだけをカンボジアから呼んだりしていたが、これからはそんな必要もなくなる。(お坊さんはカンボジアから招いて数カ月交代で常駐するそうです)
祭事は全てクメール式。お昼ご飯もまずはお坊さんから。
それにしてもものすごいごちそうの量。
祭事の後、田んぼのあぜ道を家路につく彼らの姿からは、20世紀の苦難の歴史を歩んできた厳しさよりも、肩の荷が下りたような、そんなほっとした空気を感じた。これで自分たちの伝統と文化を子どもたちに引き継ぐことができる、という安堵感なのだろうか。